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      <title>寄生虫サナディー</title>
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         <title>第十九回</title>
         <description>「いいですか？　今日あなたたちは自分の本来の姿を知ることができた。次は、あなた自身が変わらなければいけないのです。変わりたいとは思いませんか？　変わるためには何をすればいいのか。その答えこそ私どもが行っているコースにあるのです。コースはベーシックコースからアドバンスコース、さらにそこからもっと上級者向けのコースへとつづいています。もちろん、上級者になればなるほど、より楽しい人生、より多くの幸福をつかめるチャンスが増えることはいうまでもありません」
　
へぇ、幸せにも段階があるんだぁ。すごいなぁ。

「本日、私どもとみなさんが出会うことができたのも何かの運命です。運命とは、常に必然なのです。そう、みなさんひとりひとりが今日ここに来ることになったのは、決して偶然ではありません。心のどこかで今の自分を変えたいと強く願っていたから。いいですか、何事も願わないと叶わないものです。願わないというのは、いってみれば「０」と同じ。一方、願うということは、それだけで「１」なのです。「１」はかけ算していけば、そこから十にも百にも、無限に増える可能性がありますが、「０」は「０」のまま。簡単にいえば「無い」か「有る」かという、それぐらい大きな差があるのです」
　
そうなんだぁ。ぼくは算数ができないからよくわからないけど、何となくいっていることはわかる気がするなぁ。

「考えてみてください。あなたがもし「０」だったら、もし自分を変えたいと思っていなければ、ここにはいるはずがないのです。いくら誘われても断ればいいだけですから。しかしあなたは今ここにいる。それは、自分で認めようが認めまいが、心のどこかでそう願っていたからです。ようは「１」のカードをすでに持っていた。その「１」を十や百、さらには無限に増やすお手伝いをするのが、私どもの役目なのです。先ほど、ベーシックコースを受けた方々の意見を覚えていますか？　あれは嘘でもヤラセでもないですよ。事実です。あれが経験した方の生の声なのです。そして、こうしてあなたたちと私どもと出会うことができたこと、これもやはり事実であり、必然としかいいようがないのです」
　
そうだ、みんな自分は変われたっていってた。本当に変われるのかな。カナコちゃん、変わってくれるといいなぁ。

「どうですか、みなさん。いきなりこんなことをいわれて驚くのも無理はありません。そんなにいい話なら、なぜもっと有名にならないのか。なぜメディアが取り上げないのか。そう思いますよね？　なぜそうしないのか。それは私どもが望んでいないからです。多くの人を相手にしようとすると、それだけひとりに対する比重が軽くなります。それでは最終的にその人のためにはならない。それなら、ほんの少しずつでもいいから、着実に幸せのお手伝いをさせてもらいたい。それが私どもの理念です。だからこそ、紹介者なしではこの会場にすら入れないというシステムをとらせていただいているのです。いうなれば、今日お越しになられたみなさんは、チャンスを手にしたということなのです」
　
そうかぁ、チャンスかぁ。ユミって人に感謝しないとね。

「どうですか、こんなチャンスを逃してどうするんですか？　せっかく今日ここに来たんだから、まずはベーシックコースを受けてみたいとは思いませんか？　自分を変えたいとは思いませんか？」
　
カナコちゃんには、変わって欲しいです。

「ここで一端休憩をはさみたいと思います。最初に私語はつつしんでくださいといいましたが、今回は例外です。さきほどダイアードをつくったペアの人と少し話をしてみてください。もちろん、それ以外の人でもいいですよ。できるだけ知らない人とたくさん話をしてください。それでは、約十五分間の休憩をとります。その後は、またコースの説明などを詳しくさせてもらいたいと思います。それでは、休憩に入ります」
　
うーん。何だか話もしっかりしてるし、これは期待できそうだなぁ。

「エンドウさん、さっきはごめんね」
「あ、いえ、いいんです」
「こういうルールなのよ。私も最初はびっくりしたし、ショックだった。だって、私もエンドウさんと同じように何もいえなかったんだから」
「キミカワさんもそうだったんですか？」
「ええ。でもね、ベーシックコースを受けてみてわかったの。自分の本当の姿が。どう？　受けてみない？　ちょっと金額は張るけど」
「そのコースって、高いんですか？」
「九万五千円。でもね、それだけの価値はあるのよ」
「私、今無職なんで、そんなお金はとても」
「九万五千円で人生が変わるのよ。安いもんじゃない？」
「でも……」

「あ、カナコ！」
「あぁ、ユミ」
「どうだった？」
「うーん……」
「あ、あなたもコースの卒業生？」
「あ、はい。サトウユミといいます」
「私はキミカワエツコ。今ね、エンドウさんにベーシックコースを受けてみるように勧めてたの」
「そうよ、カナコ。受けてみるべきよ」
「うん……でも、お金が。無職だし」
「貯金とか、ないの？」
「一応、少しはあるけど、それは失業保険をもらうまでの生活費だし」
「節約すれば大丈夫よ。自分を変えたくないの？」
「そりゃあ、変えたいけど……」
「ね、エンドウさん。私だって、きっとサトウさんだって、コースを受けてなかったら、こうはなってなかったの。ね、サトウさん？」
「はい。実は私も以前は引っ込み思案で、性格も暗くて、今のカナコみたいだったんです」
「ちょっ……、ユミ、私って、そんなに暗い？」
「うん。ひょっとしてさっきのダイアードでもいわれた？　でもそうなのよ。私もそうだったからわかるの。だけどね、それがわかったのはベーシックコースを受けてから。受けてなかったら、今もあのまんまだったと思うわ」
「でしょう？　私もサトウさんと同じよ。ほら、エンドウさん。こんなチャンスはもう二度とないわよ」
「そうよ、カナコ」
　
受けちゃえ、カナコちゃん。お金なんか何とかなるよ。ベーシックコースっていうのを受けて、元気になってよ。
　
結局、説明会が終わる頃には、カナコちゃんはベーシックコースを受けることにしたんだ。受けることにした、というよりは断れなかったという方が正しいかもしれないけれど。キミカワって人と、ユミって人、それに後になってもう二人加わって説得されたんだから、気の弱いカナコちゃんが断れるわけないよね。
　
でもぼくは嬉しいんだ。カナコちゃんがベーシックコースを受けてくれることが。
だって、カナコちゃんがもっと自分の意見をしっかりいえるようになってくれたら嬉しいから。
　
ぼくはお腹の中からいろいろ試したけど、駄目だった。
駄目だったどころか、会社までクビにさせちゃって、カナコちゃんに悲しい思いをさせちゃった。それが、そのベーシックコースで元気になってくれるんだったら、大歓迎だよ。お金なんか、食べる分だけあったら何とかなるよ。ぼくもできるだけ余分な栄養をとらないように努力する。
　
だからカナコちゃん、頑張ってコースを受けてみて。

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         <pubDate>Mon, 07 Jan 2008 09:47:47 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第二十回</title>
         <description>コースっていうのは、説明会があった日から、ちょうど一週間後に行われるっていっていたけど、あれからしょっちゅうユミって人から電話がかかってくるんだ。たぶん、ちゃんと来るかどうかの確認みたい。大丈夫だよ、カナコちゃんは約束だけは守るんだから。ぼくが保証するよ。
　
待ち遠しかった一週間。今日やっと、コースを受ける日が来たんだ。
いよいよかぁ。楽しみだなぁ。

「ありがとうね、ユミ。こんなに朝早くから付き合ってくれて」
「何いってんのよカナコ。紹介者として当然じゃない。あ、気にしてたお金の件だけど、大丈夫？」
「うん。貯金おろしてきた。次の仕事が決まるまでちょっと節約しないと」
「そうだね。でも、それだけの大金を払っても受ける価値はあるコースだから、しっかりね」
「うん」
「今日は私、会場に入れないけど、外で時間つぶして待ってるから安心してね」
「ありがとう」
　
そのコースが行われるっていう会場についたら、ユミって人はどっかに行っちゃったみたい。聞こえてくる音からすると、結構たくさんの人がいるのかも。それでも説明会よりはちょっと少ないのかな。んー、ひとりで大丈夫かな、カナコちゃん。心配だな。でもまぁ、ぼくがついているさ。何もできないけど、しっかり見守っているからね。

「えー、本日は、私どものヒューマン・ダイヤモンド・ベーシックコースにお集まりいただき、誠にありがとうございます。私が本日のコースを担当させていただくトレーナーのウエノと申します。私のことはコース中、トレーナーと呼んでください。また、会場には様々なお手伝いをするスタッフがおります。そちらはアシスタントと呼んでください。それでは、コースをはじめたいと思います。早速ですが、これからみなさんに五分間差し上げます。その間、できるだけたくさんの人と挨拶してください。それではどうぞ」
　
なんだよ。いきなりそんなこといわれてカナコちゃんが自分から挨拶できるわけないじゃないか。ほら、やっぱりカナコちゃん、動こうとしないよ。あれ、でもまわりの人たちの声も聞こえないな。

「えー、五分経ちました。この五分間に十人以上と挨拶した方、挙手してください。いないようですね。では、五人以上と挨拶した方。いない……と。いいですか？　これが今までのあなたたちの生き方です。自分から動こうとしない。ひたすら相手を待つ。そういう行いがこの五分に出たのです。そして、この五分の積み重ねが人生なんです。そうやって、あなたがたは損をしてきた。このままでいいんですか！　このままで！　このままでいい、という人は今の段階でこの部屋から出て行ってください！　さぁ遠慮せずに！　いませんか？」
　
何？　なんでこの人いきなり怒鳴ってるんだろう。

「いないようですね。では、残っているみなさんは、本気で自分を変えたいと思っている。そう解釈していいですね？　ではこれから行われるコースは真剣に、真面目に取り組んでください。中途半端な覚悟で参加されている方がいたら、即刻退場してもらいます。いいですね」
　
想像していたのと違って何だか厳しそうだなぁ。
カナコちゃん、大丈夫かな。

「それではコースをはじめたいと思いますが、コースにはいくつかルールがあります。これをグランドルールと呼びます。今日一日、コースが終了するまではこのルールを必ず守ってください」

「まずひとつ、誰かが発言したら必ず拍手をしてください。これは賛成反対という意味ではなく、あなたの意見を聞きましたよという合図です。次に、このコース内で聞いた他人の体験を決して他言しないこと。コース中は私語をしない。コースの内容を録音、録画しない。休憩時間以外は指示なく席を立たない。トレーナーおよびアシスタントの指示にすみやかに従う。以上、六つのグランドルールを守ってください」
　
なんだか堅苦しいなぁ。いったい何がはじまるっていうんだろう。

「では、みなさんが現在悩んでいること、またこのコースによって自分がどうなりたいか、思っていることを挙手して発言してください。いいですか？　はじめにいったように、消極的では何も変わりませんよ。もうコースははじまっているのです。さぁ、みなさん、自分の意見がある方は手をあげて。いいですね。はい、そこのあなた」

「はい。わ、私には結婚している主人がおりますが、関係は冷め切っています。でも、別れて自立する自信がなく、決断できずにいます。それをはっきり決めたいとこのコースを受けてみることにしました」

「みなさん、拍手を！　素晴らしい。最初に発言するには大変勇気が必要だったことだと思います。それができただけでも、すでにあなたは変わりはじめています。大丈夫、コースが終わる頃には、あなたはきっと以前のあなたではなくなっていますよ。他には？　誰かいませんか？　はい、そこのあなた」

「私には六十五になる母がいるのですが、未だにそりが合いません。仲良くしたいと思っても、すぐに喧嘩してしまうんです。もっと素直になって、いい関係になりたくて……」

「彼女に拍手を！　お互いを思いやる心、ぜひこのコースで身につけてください。あなたなら大丈夫です。はい、他の方は？　えー、そこのあなた」

「私は現在、小さいながらも会社を営んでいるのですが、昨年から何をやってもうまくいかず、自信を失ってしまいました。もっと、決断力のある経営者になりたいと思って、今日ここにやってきました」

「みなさん、拍手を！　何事も気持ちひとつでずいぶんと変わります。そこを学んで帰ってくださいね。さて、何人かの意見を聞いてきましたが、他人事だと思っていませんか？　それは違いますよ。内容はそれぞれですが、これはみなさん全員の問題なのです。こういう気持ちを分かち合うこと、それが大切なのです。このコースではそれをシェアする、といいます。人の悩みを聞いてシェアすることが重要なのです。では、これからアシスタントの指示に従って、六名ほどのグループに分かれてもらいます。それぞれのグループで自分の悩みをシェアし合ってください」
　
みんないろいろ悩みがあるんだなぁ。カナコちゃんだけじゃないんだ。ニンゲンって、大変だなぁ。それにしても、カナコちゃんはやっぱり手もあげなかったよ。グループに分かれるっていってたけど、発言なんてできるのかな。

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         <link>http://mbase.hontsuna.com/novel01/archives/2008/01/post_19.html</link>
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         <pubDate>Tue, 15 Jan 2008 10:09:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十一回</title>
         <description>「では、ここにいる六名でひとつのグループになってもらいます。私のことを呼ぶときは名前ではなく、アシスタントと呼んでください。それでは、みなさん、私の両脇から輪になってください。はい、そうです、そうです。輪になりましたね。これが私たちのグループです。次は自己紹介してください。名前は結構ですので、年齢と職業だけでかまいません。まずは、えーと、あなたから」
　
あ、カナコちゃんからだ。すごい緊張してる。よりによって一番最初なんて。大丈夫かな。

「あ、あの、私は、現在無職で、年齢は二十六歳、です」
「みなさん拍手を。では、自己紹介は順番に、お隣の方、どうぞ」
　
ひとまずちゃんと自己紹介できたね、カナコちゃん。だけど、何かいっただけで拍手されるって変な気持ちだな。簡単な自己紹介しただけなのに、ぼくまで誉められているようで何だかむずがゆいよ。

「私は専業主婦です。年齢は三十五歳です」
「みなさん拍手を」
「あ、私は会社員で営業をしております。年は四十二歳です」
「はい、拍手」
「私は、カメラマンをやっている二十九歳です」
「いいですよ、みなさん慣れてきましたね」
「わ、私は二十三歳で看護士をやっています」
「私たちは仲間なんですよ。仲間の発言には拍手を」
「えーと、私はＯＬをやっています。年齢は、三十一歳です」
「はい。みなさん大変よくできました。では、それぞれが抱えている悩みについて、シェアしてみましょうか。恥ずかしがることはないんですよ。私たちは仲間です。そして聞いたことは決して他言しませんから。さぁ勇気を出して。さっきと同じ順番でいきましょう。さ、あなたからどうぞ」
　
カナコちゃん、がんばれー。

「あの、私は、うーん、今、仕事も何もかもうまくいかなくて。でもきっと、それは私自身に問題があるとは思っているんですが……。でもどうしたらいいのか……。それに、ずっとうじうじ考えてしまう自分のことがとっても嫌で。だけど、やっぱり考え込んでしまうんです」

「みなさん拍手を。わかりますよ。ついマイナスなことを考えてしまう。よくあることです。ただ、そういう場合、誰にもいえないケースが多いんです。でもここは違います。聞いてくれる仲間がいるんですから。さ、他の方の悩みもシェアしてあげてください。さ、お隣の方は？　いったいどんな悩みがあるんですか？」

「はい……。実は私、子どもを叱れないんです。どんなにいけないことをしていても、どこかで躊躇してしまうんです。これじゃ、駄目だ。叱らないと、とは思うんですが。主人からも、お前がちゃんと叱らないからだ、といわれるんですが叱り方がわからないんです。そのくせ主人は子どもにはとても甘くて。そんなとき、子からはバカにしたような目で見られているような気になるんです。まだ二歳でそんなわけないと頭ではわかっているんですが……。私がちょっというと大声で泣き出すし。もう、どうしていいのか……」

「拍手を。大変お辛い状況ですね。でもあなた次第ですよ。ここで思い切り自分の悩みを声に出して、そこからが再出発です。さぁ、次の方」
「えー、ぼくは、仕事人間でここまでやってきました。家族も養ってきました。だけどいつの間にか、そんな家族と距離ができてしまって……。家内には煙たがれるし、娘は口もきいてくれない。どうやってその溝を埋めたらいいのかもわからなくて……」

「拍手を。わかりましたでしょう？　悩みのない人なんていないんですよ、みなさん。さ、次の方」

「私、カメラマンなんですが、女として生まれてきたからには子どもが生みたいんです。でも仕事は辞めたくない。付き合っている人もいるんですが、彼は仕事を辞めてくれっていうんです。年も年ですし、子どもを産むならそろそろ決断をしなくてはいけないのですが……」

「わかります。みなさんも話を聞いているだけじゃなくて、シェアしてくださいね。さ、次の方」

「私、実は、看護士になりたかったんですけど、なってみたら向いてないことがわかって……。勤務時間は長いし、病人にもいろいろな人がいるし。いくら一生懸命やっても、ひどいことをいわれたり……。せっかく資格を取ったのに、どうしようかって……」

「ひとりで悩んできたんでしょうね。でも大丈夫ですよ。私たちが聞いてあげますからね。次の方は？」

「私、職場で嫌われているんです。別に何をしたつもりもないんですが、後輩は隠れて私の陰口ばっかりいってるみたいだし。でも上司はそんなこと知らないし。いっそのこと会社を辞めようとか思ったりもするんですけど、三十一歳にもなって転職というとそれほど楽でもないし。だけど、会社には居づらいし。結婚しようにも相手だっていないし」

「拍手を。どうですか？　みんなでシェアしてみると、ちょっと楽になった気がしませんか？　カメラマンの方、どうですか？」

「なんだか、話すだけでちょっとだけ楽になったような気がします。自分の悩みを聞いてもらえるって、ちょっと嬉しいです」
「そう。シェアすることが大切なんです。だから、どんな悩みだって、ここでは話してしまえばいいんです」
　
たしかに、カナコちゃんの緊張もなぜかほぐれてきた。
でも、なんていえばいいのかな。うーん、わからないけど、何だか変だよ。

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         <pubDate>Mon, 21 Jan 2008 10:11:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十二回</title>
         <description>「どうですか、みなさん。グループで自分の気持ちをシェアしたお気持ちは。いかにあなたたちが普段、人の話を聞いていないか、自分の本音を話していないか、よくわかったんじゃないですか？　話せば少し楽になったでしょう。そうなんです。わたしたちはお互いに気持ちをシェアするということを忘れていたのです。相手のことを思いやる心。それが大切なんです。では、次はアシスタントの指示に従って、グループの中でペアを作ってください。そしてその二人は、お互いの辛かった体験、家族の話、また自分の嫌いな部分についてじっくりシェアしてください。では、どうぞ」
　
シェアシェアっていってるけど、自分の話をして、人の話を聞いてるだけじゃないか。そんなことがニンゲンにとってはそんなに大切なんだろうか。ぼくなんて、生まれてから誰とも話をしたことがないし、カナコちゃんに自分の気持ちを伝えることだってできないのに。もしも、カナコちゃんとお話することができたら、きっと嬉しいだろうな。みんなこういう気持ちなのかな。

「トレーナーから指示があったように、これから二人一組でダイアードを作ってもらいます。そこで自分の辛かった体験、自分の家族について、自分の嫌いな部分についてシェアしてください。ただし、相手の話を決して否定しないこと。どんな話を聞いても、わかります、と答えてください。では、あなたとあなた、それからあなたはあなたと、あとの二人、それぞれダイアードを作ってシェアをはじめてください」
　
カナコちゃんは、さっき家族と距離を感じるとかいっていた四十二歳のおじさんとペアを組んだみたい。
　
おじさんは、いろいろな話をカナコちゃんにした。家族と距離ができたのは、実は自分の浮気が原因であること。実はその愛人とは密かに今でも交際していること。本音をいえば、家族なんか捨てて愛人と人生をやりなおしたいと思っていること。子どもの頃、ぜんぜんモテなかったこと。初めて女の人とセックスをしようとしたときに、うまくできなかったこと。それを女の子に気遣われたことがショックだったこと。今でも性にたいしてコンプレックスがあること。どんどん濃い話になっていった。それをカナコちゃんはずっと「わかります」とだけいって聞いていたんだ。
　
ぼくにはそんな話どうだってよかった。カナコちゃんがどんな経験をしてきたのか。どんな辛いことがあったのか。ぼくはカナコちゃんのことが知りたかったんだ。
　
おじさんの話が落ち着いて、ようやくカナコちゃんが話す側になった。どんなこというんだろう。

「ぼくの、つまらない話を聞いてくれてありがとう。さ、次はあなたの番ですよ」
「あ、あの……」
「大丈夫ですよ。あなたがぼくの話をしっかり聞いてくれたみたいに、ぼくもあなたの話をしっかり聞きます。だから、聞かせてください。さぁ」

「あの、実は私、子どもの頃から親の仕事の都合で転勤が多かったんです。中学を卒業するまでに五回も転校して。だから、ずっと友達ができなかったんです。仲良くなった頃にはまた転校で」
「わかります」
「それに、転校するとその学校特有の雰囲気があるから、次第にそれに合わせるようになって。いつもみんなと同じことをしようって思うようになったんです」
「わかります」
　
そうなんだ。カナコちゃん、子どもの頃にそんなことがあったんだ。

「でも、それなりにうまくやってたんです。順応力がついたっていうか。いじめられたりすることも特になかったし……」
「わかります」
「それに、自分でいうのは変だけど、とびきり美人ではないけど、そんなにひどくもないと思ってたんです。なんていうか、普通というか」
「わかります」
「中学一年の時にまた転校して、実はそこではじめて好きな男の子ができたんです。といっても最初はほんとに憧れていただけで。その男の子、結構モテていて、クラスにもその子が好きだっていう女の子が何人もいたりして。だから、ほんとに私は遠くから見ているだけで」
「わかります」
「だけどある日、その男の子から告白されたんです。好きです、付き合ってくださいって。もう私びっくりしちゃって。すごく嬉しかったんだけど、クラスの他の女の子から何か思われても嫌だから、最初はごめんなさいって断ったんです」
「わかります」
「そしたら、学校のみんなには内緒にして付き合おうっていってくれて。本当に嬉しかった。それから学校が終わってから、一駅離れたところで会ったり。それがなんだか二人だけの秘密みたいでとっても楽しかったんです」
「わかります」
「まだ中学生だし都会でもないから、やることなんてなかったんです。公園に行ってお散歩したり。でも楽しかった……」
「わかります」
　
カナコちゃんにもそんな時代があったんだね。

「ある日、彼の方から手を繋ごうっていってきて。恥ずかしかったけど、手を繋いだんです。そしたら、小指が短いねって笑うんです。たぶん、悪気はなかったと思うんだけど、自分でちょっと気にしていたことだから余計に傷ついて。どうしてそんなこというんだろうって」
「わかります」
「だからって、そんなこといえないし。で、それからだんだん彼のことを遠ざけるようになったんです」
「わかります」
「会わなくなってしばらくした頃、クラスの女の子が自慢してきたんです。その彼と付き合うことになったんだって。彼女から告白したらオッケーだったって。私、なんでもない顔をするのに必死だった。たしかに私から遠ざけたのは事実だけど、だからってはい次っていう彼のことが信じられなくて」
「わかります」
「それから、その男の子と会話をすることもなく、目をあわすこともなくなって。辛かったけど、なんかもう口をきく気にもなれなくて。その後、中学二年のときにまた転校することになって、それっきりなんだけど、あのときのことは今でも覚えてるんです」
「わかります」
　
そんなことがあったんだね、カナコちゃん。辛かったんだろうね。
でもぼくはカナコちゃんの過去を知ることができて、ちょっと嬉しいんだ。
それにしてもたくさんしゃべったよね、カナコちゃん。
どうしたんだろう、これもシェアっていうやつの影響かな。
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         <pubDate>Mon, 28 Jan 2008 10:11:30 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第二十三回</title>
         <description>カナコちゃんの告白はまだつづいた。

「それに私、家族のことが嫌いで。嫌いっていうか、ああはなりたくないっていうか。特に母みたいにはなりたくないんです。母は、いつだって父のいう通りで、自分の意見なんてないんです。何を聞いてもお父さんがこういってるから。お父さんに聞いてみないと。父は父で、自分の考えを押しつけるだけ。姉もいるんですが、気が強くって、小さい頃からよくいじめられたんです。どうして私の家族はあんな人たちなんだろうって」

「わかります」

「あと私、本当は自分がいじわるな性格だと思うんです。実際に何かをいったり、行動するわけじゃないけど、心の中ではいじわるなことを考えてしまうんです」
「わかります」
「さっきの中学の頃の好きだった男の子が別の女の子と付き合ったときだって、早く別れればいいのにってずっと思ってた。嬉しそうにそのことを報告してきた子も、私の気持ちを味わえばいいのにって。私って、ついそういうことを思ってしまうんです」
「わかります」

「それは今でも同じで、前に勤めていた会社の上司からよく仕事を頼まれたんですけど、仕事が嫌だっていうより、その人を助けることになるのが嫌だったんです。困って頼んでくるんですけど、助けたくなかった。助けるようなことをしたくなかったんです。困ればいいとまでは思わないんだけど、私には関係ないじゃないって。でもそれも仕事だから断れない。他の同僚に対してもそう。何か仕事で困っていても別に助けてあげたいとは思わないんです。友達は別だけど……。でもそんなだから友達もあまりできないし。私って、本当に嫌な性格だと思うんです」
「わかります」

「だから、私の本心がバレるのが怖いんです。怖いから、話せない。話さない方がいいんです。話したら、きっと嫌われる。今思えば、小学校の頃からそうだったのかも。自分の気持ちをいったら嫌われるんじゃないかって。それなら周りに合わせているだけの方が当たり障りなくていいんじゃないかって。だから、私、ずっと……ずっと……」
「わかります。わかりますよ」
　
そうだったんだ、カナコちゃん。そんなことを思っていたんだ。ぜんぜん知らなかったよ。やっぱりお腹の中では、頭の中で考えていることまではわからないもんだね。
でも大丈夫だよ。ぼくはそんな話を聞いたって、ちっともカナコちゃんのことを嫌いになんてならない。だって、ぼくにとってカナコちゃんはかけがえのない人だから。
　
いろいろあったんだね。ぼくはまだカナコちゃんと出会って二年も経ってないから、知らないのは当たり前だけど、嬉しいよ。カナコちゃんのことをいっぱい知ることができて。だから、もう、泣かないで。

「はい、みなさーん。そろそろお互いの話が終わったようですね。いかがでしたか？　相手の気持ち、人が考えていることが少しはわかりましたか？　いつだって人は自分のことを一番に考えてしまうものです。でも、それじゃあいけないのです。相手のことをわかって、それを思いやることが、自分のことをわかってもらうことに繋がるのです。では、少しの間休憩を取りましょう。その間にアシスタントが配るお弁当も食べてください。それが終わったら、みなさんにちょっとしたゲームをいくつかやってもらいます。それから休憩時間も私語は慎んでください。では、休憩に入ります」
　
やっとお昼ご飯だ。もうとっくにお昼は過ぎてるはずなのに。なかなか体力的にハードなスケジュールなんだな、コースって。
　
お弁当が配られても、カナコちゃんはあんまり食べてくれなかった。
さっきの告白でどうかしちゃったのかな、ずっと黙ったまんま。でもぼくはカナコちゃんが普段そんなことを思っているとは知らなかったし、何よりあれほど自分のことを赤裸々に、しかも会ったばかりの人に話すとは思っていなかったからちょっと驚いているんだ。
　
それはいいんだけど、なんかちょっと引っかかるんだよね。
なんていうか、こう、カナコちゃんを含めたみんなが誰かに操られているような気がするんだよね。さっきのおじさんだって、カメラマンの人だって。どうしてだろう、どうしてみんな自分のことをあんなに素直に話すのかな。何だかみんな変なんだよね。うまくはいえないんだけど。
　
カナコちゃんの体温も上がったままのところを見ると、どうやらちょっと興奮しているみたい。それが普段と違うんだ。大丈夫かな。
そんなことより、もっと食べてよ。
食べないと元気になんてならないよ。

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         <pubDate>Mon, 04 Feb 2008 11:08:43 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第二十四回</title>
         <description>午後は、なんだかよくわからないけど並べたイスの間を全員が違う方法で通り抜けるゲームや、歩き回ってカードを出すゲームをやってるみたいだったけど、お腹の中からじゃ、何をやっているのかよくわからなかったんだ。
　
カナコちゃんはそんなゲームを一生懸命やっているみたいだった。たまに何かをいうんだけど、それがカードか何かの決められた台詞をいっているだけだから、ぼくにはどういう意味があるのかわからない。それでもコースが始まってからカナコちゃんの声が、次第にハキハキと大きなものになっていくのがわかったんだ。

「さぁ、みなさん。次は黒赤ゲームというのをやります。黒赤ゲームとはＡとＢ二つのチームに分かれて戦ってもらうゲームのことです。今、真ん中の通路から右側にいる人はＡチーム、左側にいる方はＢチームです。両チームの代表には黒と赤のプラカードを渡します。代表は、そうですねぇ、青いシャツのあなた、あなたがＡチームの代表です。それからぁ、あなた。そう、紺色のスーツの。二人はそれぞれプラカードをアシスタントから受け取ってください」
　
なんだろう。今度はぼくにもわかりそうなゲームだな。ずっと暇だったから嬉しいな。

「これから両チームには、そのプラカードを三回出してもらいます。出すのは同時です。出したカードが黒同士なら両チームにそれぞれ五点が入ります。黒と赤なら、黒を出した方はマイナス五点、赤を出した方に五点が入ります。赤同士ならお互いマイナス三点です。これを三回行いますが、三回目は得点が二倍になります」
　
なんだか知らないけど、おもしろそうだね。カナコちゃんがんばれー。

「さきほどＡ、Ｂ両チームの代表を決めましたが、代表はまわりの人と相談して黒を出すか赤を出すかを決めてください。ただ、くれぐれも出す前のカードが相手チームにばれないように注意してくださいね。いかにたくさんの得点を得られるか、それがこのゲームのポイントですから。チーム内でよく相談してください。出すカードは決まりましたか？いいですね？　さぁ、ではまず第一回の投票をはじめます。せーの、でカードを出してください。行きますよー、せーの！」
　
なんか盛り上がってきたぞ。

「はーい！　Ａチームが黒、Ｂチームが赤！　ということは？　Ａチームががマイナス五点でＢチームが五点獲得です。次に出すカードを相談して決めてください。いいですか？　よく考えて。二つにひとつですよ。さぁ、次行きますよー、せーの！」
　
とろこでカナコちゃん、どっちのチームなんだろう。わかんないよ。ま、いいや。とりあえずＡチームを応援しよう。

「はーい！　Ａチームが赤、Ｂチームも赤！　ということは、両チームとものマイナス三点。Ａチームがさらにマイナス三点で合計マイナス八点、Ｂチームはさきほどの五点からマイナス三点で、二点です」
　
Ａチーム、ぼろ負けじゃないか。次こそがんばれー！

「次、最後ですよ。ほら、早く相談してください。行きますよー。最後なので得点が倍ですよ。いいですか？　行きますよー、せーの！」
　
Ａチーム、負けるなー！

　「はい！　Ａチームが赤、Ｂチームが黒。ということは、Ａチームがマイナス八点から、五点の二倍で十点獲得、合計プラス二点。Ｂチームはマイナス十点ですから、合計マイナス八点です」
　
わーい。大逆転だー。Ａチームって、カナコちゃんＡチームだったのかな。

「今のゲームで何がわかりましたか？　Ａチームの代表だった青いシャツのあなた」
「はい！　逆転できて、とても嬉しいです！」
「他に、感想は？」
「私ひとりじゃなくて、まわりの人と相談して力を合わせたことが勝因だと思います。ありがとう、みんな！」

「誰が相手に勝てといいましたか？」
「え……？」
「聞こえませんでしたか？　誰が、相手に勝てといいましたか？」
「え、でも……」
「私はたくさん得点を得ることがこのゲームのポイントだとはいいましが、勝ち負けについては何もいっていませんよ」
「でも、普通、ゲームっていったら……」
「そうやってすぐに勝ち負けを決めたがる。誰が相手に勝てといいましたか？　両チームが三回とも黒を出せば、お互いが二十五点になるんです。それがこのゲームの本当の目的です」
「は、はぁ……」

「いいですか、これは重要なことですよ。これが今までのあなたたちのやり方です。自分が勝つことしか考えない。そのためなら相手を蹴落としてもかまわない。違いますか？相手が黒いカードを出してくれているのに、赤を出してきた。それがあなたたちのやってきたことなんです。違いますか！　そうでしょう！　どうしてお互いに力を合わせるということができないんですか！」　
「……」
「代表の人だけのことじゃありません。まわりで一緒に考えていた人で、お互いが黒だったらいいのにと思っていた人がいますか？　いたら挙手してください。……いませんね。そうやって人と競争して、蹴落としてきた人生を送ってきたのが、あなたたちの人生じゃありませんか？　これから数分時間をとります。最初につくったグループで、今のゲームの感想について、シェアしてください！」
　
そんなのわかんないよ。ゲームだっていったじゃないか。ぼくだって、カナコちゃんがいるチームに勝って欲しかったし、別に相手を蹴落とそうなんて思ってなかったよ。何怒鳴ってるんだよ。もうわけわかんないよ。

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         <pubDate>Tue, 12 Feb 2008 09:45:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十五回</title>
         <description>カナコちゃんがいるグループは、黒赤ゲームのおかげでみんなしょんぼりしているようだった。なんだかすごく反省してるんだ。

カナコちゃんの体験を聞いてくれたおじさんは、自分はひょっとしたらずっと相手が黒を出してくれていたことに気付かなかっただけなんじゃないかといっていた。看護士の人も患者さんに冷たくしたことを後悔していた。カナコちゃんも自分は赤いカードしか出してこなかったといっていた。どうしてみんながそんなに落ち込むのか、ぼくにはさっぱりわからない。

「みなさん。グループでのシェアは終わりましたか。いいんです、これまでのことは。今日、気が付いてくれれば。今日から生き方を変えればいいだけなんです。いいですか？　あなたたちはダイヤモンドの原石なんです。本当ですよ。生まれたときはみんな一緒です。誰だって同じ人間です。その後、幸せに暮らすかどうかなんて、自分が選んできただけなのです。みなさんもまだ遅くはありません。磨けば輝きはじめます。自分をもっともっと磨きましょう。そして、光り輝こうじゃありませんか」
　
なんだろう、この大きな音。あぁ、ＢＧＭか。でもやけに大きな音だな。

「みなさん、目を閉じてイメージしてください。自分が生まれてきたときのお母さんの顔を。若い頃のお母さんです。どんな顔をしていますか？　楽しそうですか？　悲しそうですか？　いいえ、微笑んでいますね？　そう、あなたが生まれてきて嬉しいからです」
　
ぼくは、お母さんの顔なんて知らないよ。

「そんなお母さんに対してあなたはこれまで何をしてきましたか？　お母さんの気持ちを知っていますか？　お母さんにいいたいことはないですか？　いいですよ。ここではっきりいってください。はっきりと、大声で、これまでお母さんにいいたくてもいえなかったこと。ずっといいたかったことを叫んでください」

「お母さぁん！」
　
あ、さっきのおじさんだ。
「ごめんなさい！」
　
あ、また違う人だ。

「お母さん！　どうして！　どうして！」
「私、悪い子でした！」
「お母さん！　心配かけてごめんね！」
「おかーさーん！」
「私、うぅぅう。お母さん、私……」
「ごめんねー！　お母さーん！」
　
なんだこれ、みんなが叫び出した。なんだよう、怖いよう。

「お母さん！　私、ずっと、お母さんのことが、本当は大好きだった！」

カナコちゃんまで……。すごい。みんなが叫んでるからもう何いってるかわかんない。音楽もさっきより大きくなってきたよ。どうしちゃったんだよう、カナコちゃん。

「いいですよ、みなさん。まわりの人と抱擁し合ってください。あなたはもうひとりじゃないんですよ！　すべてをシェアできる仲間がいるんです！」

「お母さん！　お母さん！」
「あぁ、おかあさん。あなたは、あなたは！」
　
なんだろう、みんなどうしちゃったんだよ。あのおとなしかったカナコちゃんまで、泣き叫びながら誰かと抱き合ったりしてる。ぼくにはよくわからないよ。なんかおかしいよ。

「はい。それではみなさん。また目を閉じて。今度は未来の自分の姿をイメージしてください。まずは十日後、あなたはどうしていますか？　これまでとは確実に少し変わっているんじゃないですか？　一ヶ月後はどうですか？　一年後はどうですか？　十年後、あなたはどうしていますか？　明るい未来が見えませんか？　さっきもいいましたが、あなたがたは磨けば光るダイヤモンドです。現在はそのダイヤモンドにゴミという先入観や固定観念がびっしりついていただけです。今回のコースで、そのゴミにひびを入れることができました。本格的に磨くのは、これからです」
　
何いってんだよ。これまでだって、カナコちゃんはカナコちゃんなりに一生懸命生きてきたんだよ。もちろんぼくだってそうさ。

「それから、今日ここで体験したすばらしい時間を多くの人にシェアしてください。シェアするというのは、ひとりでも多くの人にこのベーシックコースを体験してもらうことです。いいですか、あなたがたが今日、ここに参加できたのは、紹介者がいたからです。違いますか？　今日はいろいろなことがありましたね。自分が今日体験したことを振り返ってみてください。すばらしい一日でしたね。ほんとうにみなさんに出会えて良かった。これから、この感動をひとりでも多くの人に伝えてください。それでは、みなさん目を開いてください」

「ユ、ユミ！　どうしてここに？」
「おめでとう！　カナコ」

いつの間にユミって人が……。どこか外で待ってたんじゃないの？

「みなさん、驚きましたか？　そう、今、目の前にいるのは、今日あなたたちをここへ連れてきてくれた、そのきっかけをつくってくれた紹介者です。その人がいなければ、こうしてみなさんに出会うこともなかった。素敵なチャンスをくれた紹介者に感謝してくださいね」

「驚いた？　カナコをお祝いしたくって。はい、これ」
「え？　花束？　これ、私に？」
「そうよ、私からのプレゼント。コースを無事に終えたお祝いに」
「ありがとう、ユミ！」
「良かったでしょう？　今日、ここへ来て」
「うん！」
　
良くないよ。ぜんぜん良かったなんて思えない。
少なくとも、ぼくには。
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         <pubDate>Mon, 18 Feb 2008 18:24:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十六回</title>
         <description>コースが終わったのは夜の遅い時間だったのに、カナコちゃんはユミって人と話し込んでいた。ユミって人が運命の出会いだったというサワダという男も現れたんだ。二人は出会ってまだ二ヶ月だけど、結婚を誓い合ったんだってさ。ユミって人とその男はしきりにコースは素晴らしかったでしょうっていってた。カナコちゃんも興奮冷めやらぬという感じで、激しく同意していたんだ。
　
それなら、ぜひアドバンスコースを受けるべきだと二人は勧めてきた。実際、その男の方はすでに受けていて、ユミって人も来月受けるんだって。カナコちゃんがさすがにそのお金をつくるのが今はしんどいというと、じゃあ一週間後に行われるコースの説明会に誰かを誘って連れてくるようにっていうんだ。こんなに素晴らしい体験を友達に勧めないなんて、もったいない。だから、ひとりでも多くの人にコースを受けてもらいたい。そうは思わないか、というんだ。
　
なるほどなぁ、それでユミって人もカナコちゃんを説明会に誘ったんだね。
　
来週までにひとりでも説明会にくるとコミットメントすること。そう約束してカナコちゃんは帰宅した。ちなみに、コミットメントとは、どうやら「約束」という意味みたい。なんでそのまま約束っていわないんだろうね。
　
翌日からのカナコちゃんは、異常だった。お腹の中からでもわかるほど。
朝から晩まで、ひっきりなしに電話ばっかりかけるんだ。昔の名簿を引っ張り出したりして、古い知り合いに電話しては「今度集まりがあるから一緒に行かない？」といっていた。たぶん、ユミって人にいわれたとおり、説明会に連れていく人を探してるんだろうね。でもほとんどの場合、ちょっと話しただけで電話を切られているみたいなんだ。コミットメントなんてひとつもとれない。それでもカナコちゃんは諦めなかった。
　
もう、やめようよ、カナコちゃん。
もっと他にすることがあるじゃない。ご飯だってろくに食べていないし、夜もそんなに眠っていない。何より、仕事はどうするのさ。働きもせず、仕事も探さず、朝から晩まで電話ばっかり。
　
たしかに、カナコちゃんは変わったよ。自分からそんなに電話をかけまくるような人じゃなかった。一度断られたら、すぐに諦めるような人だったさ。

でも、なんだかおかしいよ、カナコちゃん。
ぼくはそんなふうに変わって欲しかったわけじゃないんだ。
自分で考えていることを、ほんの少しでもいえるようになって欲しかっただけなんだ。
　
今のカナコちゃんは、ユミって人やトレーナーがいっていたことを鵜呑みにしているだけじゃないか。どうしちゃったの？　カナコちゃん。引っ込み思案でも何でもいいから、前のカナコちゃんに戻ってよ。お願いだよ、カナコちゃん。
　
それでもカナコちゃんは連日電話をかけまくり、五日経った。
とうとう、ケイコちゃんを誘っているようだった。正確には最初の頃にケイコちゃんにも電話したんだけど、あっさり断られたみたい。だけど、他の誰ともコミットメントができないもんだから、最終的にまたケイコちゃんを誘おうとしてるんだろうね。
あまりにしつこいカナコちゃんに、さすがのケイコちゃんも話だけは会って聞いてみるということになったみたい。
　
明日、待ち合わせ場所と会う時間をコミットメントしていた。あ、これは説明会に行くという約束をしたわけではないから、コミットメントとはいわないのかな。ま、どっちでもいいや。とにかく、ケイコちゃんと会う約束だけはしたみたいだった。
　
ケイコちゃん、今のカナコちゃんを見てなんていうんだろう

「で、カナコ。何の集まりだっていうの？」
「ごめんケイコ。それはいえないのよ」
「いえないって、あんた行ったんでしょう？　その集まりに。それで私を誘ってるんじゃないの？　それがなんでいえないのよ」
「そういう決まりなの」
「あ、そう。じゃ、行かない。私、説明ができない集まりになんて行けないから」
「違うの！　行けば本当に感動するから！」
「感動……？」
「そう、感動するの！　これまでの自分の生き方がいかに間違っていたか。これからの生きる希望みたいなことがね」
「ちょっと、待って。私、別に今までの生き方が間違ってるなんて思ってないから」
「そうじゃなくて。ほら、その考えがまず違うのよ！　自分がよく見えていないのよ」
「大きなお世話よ。とにかく私、そんな集まりには行かないから」
「そんなこといわないでよ。ケイコが最後の望みなんだから」
「何、最後の望みって？　なんかノルマでもあるの？」
「そんなのないよ。あくまで自発的にやってるの。ケイコにも体験してもらいたいって心の底から思ってるからいってるの。私を信じて！」
「信じてっていわれても、ねぇ。やっぱり、それって、宗教かなんかじゃないの？」
「違う！　絶対そんなんじゃない！」

「どうしたの？　急に大きな声出して……」
「ほんとに違うの。だけど、きっとケイコのためになるわ。私が保証する。だから、ね？　だから明日の説明会に一緒に行かない？」
「ごめん、明日は大事な会議があるのよ」
「会議と人生とどっちが大切なの？」
「会議、今はね。明日の会議で私の企画が通るかどうかってときなのよ」
「嘘だわ。会議の方が大切だなんて。よく考えてみて。人生っていうことを」
「ねぇ、カナコ。大丈夫？」
「何が？」
「あんた、何か変よ？」
「どこが？」
「声がやたら大きいし、目つきもなんかおかしいし」
「そう？　それは私が自分の可能性について、気付いたからじゃない？」
「可能性……？　ちょっと、ほんとに大丈夫？」
「大丈夫よ！」

「それよりケイコ。明日の説明会だけど」
「ごめん。ほんとに明日は大事な会議があるのよ」
「会議なんてなんとかなるじゃない！」
「ちょっと……、いい加減にしてくれない？　電話で何度もいうから会うだけっていったでしょう？　行くなんてひとこともいってないよ？　それに、電話でカナコのようすがおかしかったから心配してこうして来たんじゃない。私、今本当に仕事大変なんだから」
「だけどね、仕事だけじゃないでしょう？」
「もちろん仕事だけじゃないよ。だけど、大事なときっていうのは、あるの」
「説明会より？」
「そう。説明会より」
「私がこんなに勧めてるのに？」
「ごめん。悪いけど」
「私より、仕事が大切っていうのね？」
「そうはいってないよ。ただ、今はね、ちょっと」

「わかったわ！　もうケイコなんて友達じゃない！」
「ちょっと、それ……本気でいってるの？」
「本気よ。私がケイコのことを思って説明会に誘ってるっていうのに」
「私のことを思うなら、私の仕事のことだって考えてくれたらどう？」
「そんなのできるわけがない！　仕事が何だっていうの？　人生の中で、仕事なんてたかがしれてるじゃない！　私はそんなレベルの話をしてるんじゃないの！」
「わかったわ……。これ以上話をしても無駄みたいね、カナコ」
「本当に明日は来てくれないのね？」
「うん。私は行けない」
「そんな人だと思わなかった。もう友達でも何でもない」
「ちょっと……何なのよそれ」
「さようなら、ケイコ」
「わかった。ほんとにそれで、いいのね？　カナコ」
「もういい！」
　
良くないよ、カナコちゃん。ちっとも良くない。
ケイコちゃんは、カナコちゃんのたったひとりの気を許せる友達じゃないか。仲良しだったじゃないか。たくさん相談にも乗ってくれたじゃないか。二人で会うと、いつも楽しそうだったじゃないか。

どうしてそんなこというのさ。
友達がいなくなったら、カナコちゃん、どうするのさ。
近ごろのカナコちゃん、どうかしてるよ。
それでも、ぼくは……。
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         <pubDate>Mon, 25 Feb 2008 13:54:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十七回</title>
         <description>　「あ、ユミ？　ごめん、明日の説明会、ひとりもコミットメントできなかったの。ううん？　電話はたくさんしたよ。うん、ものすごく。そう、いわれた通り、学生時代の名簿とか引っ張り出して。うん、でもみんな忙しいとかいって。やる気？　もちろんあるよ。うん、がんばってコミットメントする。来週ね？　うん、わかった。来週には必ず誰かひとりでもコミットメントをとるわ。ありがとう、私、頑張る。うん、それじゃあ」
　
まだやる気だよ、カナコちゃん。どうしたもんだろう。止めさせたいけど、ぼくにはそんな力ないしなぁ。弱ったなぁ。ん？　誰か来たみたいだ。誰だろう？

「誰？」
「あ、俺。サトル」
「もう来ないっていったじゃない」
「そうじゃないんだ。忘れ物、腕時計」
「何？　どこにあるの？　取ってくるからいって」
「それがさぁ、たぶん俺じゃないとわからないんだよね」
「どうして？」
「何カ所か心当たりがあるんだけど、どこに置いたか思い出せないんだ。だから、俺が探した方が早いの。いいから、ドア開けてくんない？　何もしないから」
「……」

「ほんとに腕時計取ったらすぐ帰るって」
「ほんとに、すぐ帰ってくれる？」
「帰るよ。誰かいてまずいなら出直すけど」
「誰もいないけど、今私、忙しいのよ」
「それなら、五分、いや三分で帰るよ」
「わかった」
　
入れちゃったよ、カナコちゃん。なんでこんなときにコイツが来るんだよ。帰れよ、早く。

「さんきゅー。俺さぁ、いっつも無意識に時計とかどっかに置いちゃうんだよね。それがたぶん、三カ所ぐらいあってさ」
「いいから、さっさと探して帰ってよ」
「嫌われてるねぇ。ま、いいけど。えーと、どこだったかなぁ。ここじゃないとすると、スピーカーの上かなぁ」
「ないの？」
「ちょっと待って」
「ちょっと、一分経ったよ」
「わかってるって。あ、あったあった。ここだったか」
「あ、前にケイコにもらったワイン。なんでそんなところにひっかけてるのよ」
「いや、なんとなくハマリ具合が良くて」
「全然気付かなかった。いいから、それ取ったら帰ってよ」
「この時計さ、亡くなったおばあちゃんが成人式に買ってくれたんだよね。他の時計だったら諦めるとこなんだけどさ。ちょっと、これだけは」
「わかったよ。見つかったんなら、用は済んだでしょ。早く帰って」
「はいはい。ん？　これ、何？」
「何って？」
「この電話の前に貼ってある紙」

「別になんでもないよ」
「ナニナニ？　週に、三人以上コミットメントする、自分の可能性を開く、運命の人と出会う、ってこれ何？　なんでこんなの書いて貼ってんの？」
「それは……目標。そう、目標よ」
「目標って？　運命の人に会うのが？」
「そう。自分の目標を書いて、いつも見えるところに貼ってあるの。悪い？」
「悪くはないけど、それって、願望じゃないの？」
「願望じゃないわ。自分で強く願えば叶うのよ」
「何の根拠があって、そんなこといってんの？」
「いいじゃない、別に」
「ま、別にいいけどさ。で、週に三人以上コミットメントっていうのは、何？」
「それは、ちょっと、今頑張ってることがあって」
「ふーん」
「何よ、その顔」
「いや、別に」
「ならほっといてよ」

「カナコさ、自己啓発セミナーでも受けに行った？」
「行ってないよ。なんでそんなこと聞くの？」
「コミットメントって、セミナー用語だからさ」
「そうなの知らないよ。でも私が受けたのは別に変なセミナーじゃないんだから」
「じゃあ、何を受けたの？」
「ベーシックコース。ヒューマン・ダイヤモンド……あ、いっちゃいけなかったんだ」
「やっぱり、自己啓発セミナーじゃん」
「違うって」
「最近は自己啓発セミナーって言葉のイメージが悪いからって、何かと呼び名を変えてるんだよ。やってることは同じなんだけどね」
「違うって。どうしてそんなこと知ってるのよ」
「俺、その手のいかがわしい話、大好きだからさ」
「サトルも受けたの？」
「受けないよ、バカバカしい。だけど、本とかたくさん読んだから、だいたいわかるよ。何やってるかぐらい」
「想像でものをいわないでよ……」

「最後に花束もらうパターン？」
「ど、どうして知ってるの？」
「だから知ってるんだって、それぐらい。あと、アレでしょ。膝がくっつくぐらいに座ってやるやつ、なんていったっけ？」
「ダイアード……」
「そうそう、ダイアード。それで相手の第一印象をいったり辛い体験とか話したでしょ？」
「したけど……」
「最後は、アレでしょ？　泣いて叫んだんでしょ？」
「うるさいな！　受けてもないのにとやかくいわないで！」
「なるほどね。カナコ、受けたんだ。どうりで目つきはおかしいし、声がでかいと思ったよ」
「私は前の私じゃないの！」
「悪いことはいわない。もう止めな、そういうの」
「何？　どうして？」
　
なんだろう、サトル。急に現れたかと思ったら何をいいだすんだろう。
だけど、カナコちゃんがおかしくなった原因について、何か知ってるのかな。
お願いだよ、サトルでも誰でもいいから今のカナコちゃんをどうにかしてよ。

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         <link>http://mbase.hontsuna.com/novel01/archives/2008/03/post_26.html</link>
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         <pubDate>Mon, 03 Mar 2008 09:48:48 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十八回</title>
         <description>「友達、なくすよ？」
「どういう意味？」
「まだ生き残ってたんだね、そういうセミナー。もうすっかり無くなったかと思ってたよ。それに、まさか引っかかる人がいるとは。まして、カナコが」
「引っかかるっていい方やめてよ！」
「だって、現に引っかかってるんだから仕方ないじゃん」
「引っかかってなんかいないよ。私は私の意志で行動してるんだから」
「それが、引っかかってるの。バカだねぇ。気付こうよ、いい加減」
「何に気付けっていうのよ」

「洗脳されてることにさ」
「洗脳なんかされてないよ」
「あのさ、自己啓発セミナーっていうのは、うまくできてるんだよ。ある程度、心理学に基づいてやってるから。体験した人がいっときおかしくなるのもわかる。そういうふうにできてるからね」
「できてるって、何がよ」
「誰だってさ、初対面の人から第一印象をズバズバいわれたりさ、面と向かって辛い体験をいえとかさ、しかもそれが閉ざされた空間で、長時間行われたらおかしくなるってこと」
「……どういう意味よ」

「自我の崩壊ってやつだよ」
「自我の崩壊、って？」
「それまでの自分の価値観とか、そういうのを一回全部ぶっ壊すのさ」
「私、別に壊されてなんかいないもん」
「まぁいいや。今いっても仕方ないか。でさ、音楽とか、照明とか、巧みな演出があったりもしただろ？」
「それは、まぁたしかにあったけど、それが何だっていうのよ」
「別にいいんだよ。誰もが磨けば光るダイヤモンドだとかなんとかいうのは。それで自信がつくならね。だけどさ、自己啓発セミナーはタチが悪い。ある意味変な宗教よりタチが悪い」
「タチが悪いって、何がよ」

「俺はさ、人が何を信じようが信じまいが個人の勝手だと思ってんだよ。端から見たらそれがいくら滑稽に見えたって、本人がそれで報われるってこともあるからさ。そういう意味でいえばさ、その度合いが強いか弱いかだけのことだけで、誰だって何かしらに洗脳されてるっていったっていいかもしれない」
「じゃあ私のこともほうっておいてよ」
「でも、自己啓発セミナーはやめときな」
「どうして？」
「どこまでも営利目的だってことさ。それに洗脳するにしても中途半端すぎる。どんな宗教にも教えや信仰は必ずあるもんだけど、セミナーにはそれがない。ひたすら金儲け」
「金儲けって、何がよ」
「自我の崩壊まではやるくせに、その後のフォローがない。壊したら壊しっぱなし。頑張れよ、で終わり。しかもそれが、勧誘を頑張れよ、だったりする。コミットメントとか何とか変な呼び方してるけど、単なる勧誘だからね」
「……」

「でも洗脳が中途半端だから、しばらくすると気付きはじめるんだよ。あれ？　おかしいぞってことにね。だからそうなる前により過酷な合宿なんかに連れて行こうとするのさ。実際誘われなかったか？　もっと幸せになるための上級者向けとかいって。だけど、結局そこでもやることは一緒なんだよ」
「一緒って？」
「大勢でひとりを罵倒したり、辛い経験を語り合ったり。それを早朝から晩遅くまで閉鎖された中でやるのさ。まして合宿だから普段の社会生活とは切り離されてる。そんなことばっかりしてたらどんなに精神が強い人でもおかしくなるよ。カナコが受けたのはまだ最初だけだろ？」
「そうだけど……」
「もう止めとけって」
「どうして？　私、アドバンスコースも受けるつもりだったのに」
「それ、いくら？」
「三日間で十八万円」
「そんなお金どこにあんの？」
「ないけど、何とかして受けたいから」
「もっといいことに使いなよ。俺に貸すとか」
「……」

「睨むなよ。冗談だよ。でも十八万あったら何ができるよ？　どこかへ旅行にでも行った方がよっぽどいいよ」
「だけど、自分の可能性について……」
「あのさ、自己啓発セミナーにハマった人が最期にどうなるか知ってる？」
「知らない。どうなるの？」
「しつこい勧誘で友達はみんな離れていって、気付いたときにはひとりぼっち。もう精神的にも肉体的にもボロボロになるケースが多いらしい」
「……」
「昔さ、事件があったじゃん。あるおっさんが病人を治してやるとかいって病院に一切連れていかないで、ひたすら部屋の中に閉じこめた結果、ミイラになっちゃったっていうの。アレもそうだよ。あの場合、自己啓発セミナーとはちょっと違って、宗教がちょっと入ってたんだけどね。ま、あのおっさんだって元はといえば、セミナー通いをやってたんだから」
「そうなの？」
「受けまくってたらしいよ。で、いつの間にかセミナーを開催する側になって、何だか知らないうちに教祖みたいになってたっていう。結局あの事件から急速に自己啓発セミナーが下火になったんだけど、まだあったんだねぇ。いつの時代も騙される人ってのはいるもんだね」
「私は騙されたとは思ってないよ」

「最初にいったけど、自己啓発セミナーは営利目的のビジネスだからね。だって、どう考えても金儲けじゃん。ボランティアじゃないし、いちいちそんな高い金取る意味がわかんないよ。ましてや、一度セミナーを受けた人に勧誘させる。今、カナコはセミナー主催者の営業マンになってるんだよ。そこに気付きなよ」
「だって、勧誘は自発的にやってるんだから」
「ま、いいや。カナコがそう思うんなら、行くところまで行けばいいよ。だけど、友達は大事にした方がいいよ。もし、友達に声をかけまくってるなら止めた方がいい。ビジネスと友達は別だからさ。まして、カナコには一銭も入らない」
「お金が欲しくてやってるわけじゃないもん！」

「主催者には入るんだよ、しっかりと」
「……」
「良かれと思ってやってるのかもしれないけどさ、そういうのを大きなお世話っていうんだよ。それにさ、こんなバカバカしいことで友達なくしたらさ、ま、いいや。カナコ、セミナーを受けてから何日経った？」
「ちょうど一週間」
「じゃ、もう少しかかるか。とにかく、次のコースに行きたいにしても三週間はじっくり考えてみな。その間、セミナーで知り合った人とは連絡を絶った方がいいな。今、自分がやっていることをちゃんと考えてみなよ。三週間たっても同じ考えなら、セミナーの営業マンでもなんでもやればいいさ。ま、ちょっと冷静になってみな」
「私は今だって冷静だよ」

「ふーん。ならいいけどさ。だけどもし、後で自分が間違っていたと思うなら素直に認めた方がいいよ。悪いと思ったら素直に謝った方が楽だから。これまで勧誘した友達にも謝った方がいい。俺からいえるのはこれぐらいかな。三分っていってたのにずいぶん長居して悪かったね。じゃ、ほんとにもう来ないから」
「どうして、サトルは私にそんな忠告をするの？」
「うーん、なんでだろ」
「私のことなんて、どうだっていいはずじゃない」
「それでもほら、昔付き合ってた彼女がおかしくなるのは、見てられないじゃん」
「……」

「あ、そうだ。これ、返しとくよ」
「何？　これ」
「十万入ってる。たしか十万だったよね？　カナコに借りてたの」
「うん……でも、返してくれるの？」
「返すっていったじゃん。送ろうと思ってたんだけど、住所覚えてなくて」
「……」
「じゃあ俺、帰る。元気でな、カナコ」
「う……うん」
　
そうだったんだ。セミナーっていうんだ。サトルって何でそんなこと知ってんだろう。カナコちゃんより年下のくせに、変な奴だよなぁ。だけど、サトルがいってた忠告って、たしかにそうかも。
これでカナコちゃん、気付いてくれたらいいのにな。
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         <pubDate>Mon, 10 Mar 2008 13:25:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二十九回</title>
         <description>不思議なことに、サトルが帰った後からカナコちゃんは勧誘の電話をかけなくなったんだ。ケイコちゃんがあんなに心配してくれたときには一切耳を貸さなかったのに……。どうしてだろう。
　
翌日からも、カナコちゃんは電話をかけたりしなかった。しなかったけど、それ以外のことも何もしなくなった。ひたすら家でぼーっとしていたんだ。
ぼくには、カナコちゃんが頭の中で何を考えているのかまではわからない。
誰かと話したり、動いてくれれば、だいたいどんなことを思っているのかはわかるんだけど、黙ってじーっとされたらわからないんだ。
カナコちゃん、いったい何を考えているんだろう。
食べる物もろくに食べず、ひたすら黙って考え込んで。
　
そんな調子で何日かが過ぎた頃、ユミって人から電話があった。でも、カナコちゃんは「ごめん、ちょっと経ったら、こっちからかけなおすから」といっていた。その後もしつこく電話はかかってきたんだけど、そのうち電話にも出なくなったんだ。
カナコちゃん、今、何を考えているの？
何か話してよ。
　
それでも電話はかかってきた。カナコちゃんはでなかったんだけど、日を追うごとに回数は増えてきて、一日に二十回以上電話がかかっているようになったんだ。たぶん、ユミって人からだと思う。ほんとうにしつこい人だな。カナコちゃんが電話をかけなくなったのはいいけど、これじゃあ一緒じゃないか。電話って、面倒なものなんだな。

とにかく、今はカナコちゃんをちょっとそっとしてあげてくれないかな。きっと今、大事なときなんだから。あれ？　また誰か来たみたいだ。

「誰？」
「なんだ、やっぱり居るんじゃない、カナコ」
「ユミ？」
「そうよ！　どうして電話に出ないの？　今さっきだってかけたのに」
「ユミ……、どうして私の住所知ってるの？」
「聞いたのよ！　ベーシックコースを申し込むときに記入したでしょ。そんなことより、どうして電話に出ないのよ。ドアを開けて説明してよ！」
「ちょっと、考えたいことがあって」
「コミットメントは？　今週コミットメントは取れたの？」
「……ううん」

「何があったの？　いいからドアを開けて！」
「ごめん、できないの」
「どうしてできないの？」
「ちょっと今、ひとりで考えたいことがあって」
「そんなのカナコの都合でしょ！　せっかく来たあげたっていうのに」
「それはユミが自分で……」
「いいからドアを開けて！」
「ごめん、ユミ」
「いいわ。じゃあここで叫んでもいいのね？」
「ちょっと、止めてよ、そんなこと」
「カナコが悪いんでしょ。人を馬鹿にするんじゃないよ！」
「ちょ、ちょっと、大きな声出さないでよ」
「マンション中に響き渡るこえでいってやる。嘘つきだって！」
「私、嘘なんかついてないよ」
「ついてるじゃない！　コミットメントをとるっていってたじゃない！　それに急に電話に出なくなるし。だから心配して来てやったっていうのに、部屋にも入れてくれない！　この嘘つきっ！」
「ちょっと、ユミ！」
「嘘つき！　嘘つき！　嘘つき！　みなさーん！　ここに住んでいる人は嘘つきです！」
「わかった！　わかったから止めて！」
「何をわかったっていうのよ、嘘つきのくせに！」
「今ドアを開けるから大きな声を出すのは止めて。何時だと思ってるのよ。近所迷惑じゃない」
「迷惑かけてんのは誰よ！」
「いいから入って」

「へぇ。結構こぎれいにしてるじゃない、カナコ。ここ家賃いくらなの？」
「ちょっと、勝手にずかずか入らないでよ」
「で、どうして電話に出ないの？」
「ちょっと待って。ちょっと冷静になってよ」
「私は冷静よ。カナコの方こそどうしたの？　そんな怯えた目をして」
「だって、大声で叫んだりするから……」
「そうでもしないと入れてくれなかったでしょ？　だからよ」
　なんだよコイツ。突然やってきて強引に部屋にまで入ってきて。何をするつもりなんだよ。カナコちゃん、大丈夫かな。
「私の質問に答えて。どうして電話に出ないの？」
「それは……ちょっと、ひとりで考えたいことがあって」
「何？　考えたいことって？」
「……」

「今日って、何曜日か知ってる？」
「水曜日だけど……」
「カナコ、先週いったよね？　来週の説明会には必ずひとりコミットメントをとりつけるって？　今日がその一週間後、水曜よ」
「それはそうだけど……」
「そうだけどじゃないわよ。今日私がどれだけ恥をかいたかわかる？　友達のカナコって子が新しい人を必ず連れてきますっていってたのに！」
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ」
「落ち着いてるわよ。それより、何？　カナコは客が来てもお茶も出さないの？」
「ごめん。だけど、ちょっと時間をくれない？　だから今日はもう帰って」
「どうしたのよ、カナコ。あのやる気はどこへ行ったの？　頑張るっていってたじゃない？　それが急に考えさせてくれだなんて」
「それなんだけどね、私が受けたのって自己啓発セミナーっていうの？」
「は？　何いってんの？　ヒューマン・ダイヤモンド・インターナショナルのベーシックコースだっていったじゃない？」
「名前が違うだけで、やってることは自己啓発セミナーと一緒だって」
「誰がそんなこといったの？」
「友達……」
　
やっぱり、サトルにいわれたからだったんだ。

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         <pubDate>Mon, 17 Mar 2008 16:10:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第三十回</title>
         <description>「あのねぇ、これだけはいっておくわ。どこの世界にもとやかくいう奴はいる。それはインチキだとか、ペテンだとか。やってもないくせにね。そんなの聞く必要ないのよ。体験したのは私たちなんだから。きちんと結果が出ているんだから」

「結果って？」
「私は、資格をとって福祉の仕事をするっていう目標ができた。そのために今頑張ってる！」
「それはユミが頑張っているんであって、別にコースを受けたからというより……」
「何いってるの！　コースのおかげよ。コースを受けていなかったら、こうはなってなかった」
「コースの、おかげ……？」
「だってそうでしょ？　自分の可能性に気付いて、こんなに前向きになれたんだから。それって、コースを受けていなかったら、わからなかった。わからないまま、昔の私のようにうつむいて歩いてた。それに、運命の人だって見つかったのよ？　これって凄いことじゃない？」
「サワダさんのこと？　でもね、運命の人って、どうしてわかるの？」
「わからないの？　私たちを見ていて。カナコって想像以上に鈍感なのね。私とサワダさんは強く結ばれているの。出会う運命だったのよ。会った瞬間にそれがわかったんだから」

「それはいいんだけど、どうして新しく人を紹介する必要があるの？」
「それは、この経験をひとりでも多くの人に味わってもらいたいからじゃない」
「だけど、なんだか連れて行かないといけないような雰囲気って、どうなのかと思って」
「強制されてやるんじゃないの。自分でたてた目標をひとつひとつ達成していくことが大切なのよ。カナコは先週いってた目標も達成できてないじゃない。それって、どうなの？」
「たしかに先週はそういったけど……」
「少しずつでも自分の目標をクリアしていくこと。それによって当然結果は大きく変わってくる。どうしてそれがわからないの？」
「ごめん、それが今わからなくなってるの」
「どうして？　その友達に何か吹き込まれたから？」
「違う。違うけど、いわれたことを考えてみると、そうかもしれないと思って」
「カナコ、あなたね、自分の意志はないの？　何でもかんでも人がいったから、誰かにいわれたから。それじゃ、変われるものも変われないわよ？」

「そうなんだけど、だけど人にいわれて気付くことってあると思うの」
「どうしようもないね、カナコは。まぁいいわ。それで来週には何人コミットメントとれそう？」
「だから、ちょっとの間、考えさせてくれない？」
「考えてどうするの？」
「どうするっていうか、よく考えたら私無職だし、職探しもせずに電話ばっかりかけてるわけにもいかないから」
「仕事が何だっていうのよ。私たちは仕事なんかより、もっと素晴らしい体験をしたじゃない？　違う？」
「でも、貯金だってそんなにないし、失業保険もいつまでも貰えるわけじゃないし。それにここの家賃も払わないといけないし」
「わかった。そんなに仕事がしたいなら、そうすればいいわ。だけどね、ベーシックコースを受けて、できるだけ間を開けずにアドバンスコースを受けた方がいいのよ。わかってる？」
「それは、わかってる」
「私は来週受ける」
「うん」
「受けて、私はもっと素敵になるの。素敵になって、素晴らしい人生を歩むの！　カナコはそうなりたくないの？」

「ねぇ、ユミ。最初にいったけど、ほんとにしばらく私をそっとしておいてくれない？　効果があるのは、ユミのいう通りかもしれない。素晴らしい人生が待っているのかもしれない。でもね、私は私のペースで考えたいの。私、なんでも遅いから。それでもし、コミットメントをとることや、アドバンスコースを受けることが必要だって思ったら、私から連絡するから。必ず連絡するから。だから、お願い」
「……わかった。じゃ、ゆっくり考えてみて。カナコは素晴らしい人生を手に入れたくないのか、今までみたいに腐った毎日でいいのか、よーく考えてみればいいわ」
「ありがとう、ユミ」
「そんなもの、答えは決まってると思うけどね」
「最後にこれだけはいわせて。世の中にはね、知っていても勇気を出せない、疑ってばかりで損をしている人がどれだけ多いかってことを。そんな人間になりたい？　そんなつまらない人生を送りたい？　そんなの嫌でしょ？」
「うん、それは……」
「何をぐじぐじ考えているのか知らないけどね、後できっと私のいってることが正しかったって思うから」
「うん、わかった。それじゃ、今日は……」

「私、サワダさんと結婚の約束をしたの」
「結婚？」
「そう、結婚。サワダさんと」
「いつ？」
「まだはっきりはわからないけど、必ずしようって」
「そうなんだ。おめでとう」
「彼ね、今、奥さんと子どもがいるの」
「え？　サワダさんって結婚してるの？」
「違うのよ。結婚っていっても今の奥さんとはもう冷めきっていて、かたちだけ一緒に住んでるの。彼、婿養子でね、今は奥さんの父親が経営する会社で働いているんだけど、自立心が高いからいずれは自分で新たな会社をって頑張ってたのよ。だけどあっちはいずれ取締役にしたいっていう思惑があるでしょう？」
「会社のことは良くわからないけど、そんなものなのかな」
「そういうものよ。で、ずっと人生に迷ってたのね。そんなとき、私と出会ったの、ベーシックコースで。彼とは偶然同じグループでペアになったんだけど、ダイアードで話すうち、あ、この人だって、私思ったの」
「それって、どんなふうに？」
「よく電気が走るっていうじゃない？　ほんとにそんな感じ。カラダ中にビビビッってきて」
「へぇ、私はそんなの感じたことないけど」
「そしたらね、彼も同じだったの！　後で聞いたんだけどね、私を見た瞬間に電気が走ったんだって！」

「へぇ、すごいね」
「ね？　これって運命でしょ？　でね、彼ね、私といると、とても心が落ち着くんだって。もちろん私もよ。でね、今まで悩んでたけど、奥さんとは離婚して、今の会社もきっぱり辞めて、いちからやり直す気になったんだって！　こう思えるようになったのは君のおかげだよって！」
「そうなんだ」
「だからね、今とっても幸せなの、私。彼も年内には離婚を成立させて、どこかに小さなアパートを探そうって。狭くたって、お金がなくなって、ふたりで頑張ろうって！」
「そうなんだ。でも、今いる子どもは？」
「知らない。奥さんが面倒見ればいいんじゃない？　私は嫌よ、そんなの。なんで他人が産んだ子どもの面倒なんか見なくちゃならないのよ」
「サワダさんは何ていってるの？」
「ふたりだけで暮らそうって。いちからやり直すんだって。彼、アルバイトしてでも会社を立ち上げる資金を作るんだって、意気込んでるの。素敵よ、何か目標がある人って。私も頑張って働いて、彼を支えないと。そのためには、まず資格を取らないと。私、やるわよ。やってみせる！」

「ユミ、悪いんだけど……今日は、もう」
「わかってるわよ。帰るわよ。必ず、連絡ちょうだいね」
「ユミのいってることが正しいと思ったら、必ず連絡する」
「なるわ。なるに決まってるじゃない。じゃあ、ひとりでゆっくり頭冷やすのよ、カナコ」
　
頭を冷やすのはどっちだよ。
今日ではっきりわかったよ。ユミって人はおかしい。変なことばかりいってる。そのくせ、自分は正しい、間違ってるのはぜんぶカナコちゃんだと思ってる。
どうかしてるのは、ユミって人だ。
カナコちゃんの方が、しっかりしてるんだ。

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         <pubDate>Mon, 24 Mar 2008 09:24:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第三十一回</title>
         <description>ユミって人が好きなこといって帰った夜、カナコちゃんは早々と寝てしまった。
大丈夫かな、カナコちゃん。またおかしくなっちゃわないか、心配だよ。
　
今のカナコちゃんは、ひとりぼっちだ。毎日ひとりで黙って考え込んでばかり。ケイコちゃんにもあんなこといっちゃって、もう誰も相談できる人がいない。
　
大丈夫、ぼくがついてるっていってあげたいけど、ぼくには何もできないんだ。悔しいよ。ほんとうは何でも聞いてあげたいし、何でもしてあげたいのに。でもカナコちゃんはぼくの存在さえ知らない。お腹の中からそっと見守ることしかできないんだ。
　
神様、どうかカナコちゃんを元に戻してください。自分の意見なんて、いえなくなっていいです。食欲だって、なくたっていいです。だから、元のカナコちゃんに戻してあげてください。そして、ひとりぼっちにさせないでください。できれば、ケイコちゃんとも仲直りさせてあげてください。このままずっとひとりだなんて、カナコちゃんが可哀相すぎます。お願いします。この願いを叶えてくれるなら、ぼくはどうなったってかまいません。だから、どうかお願いします。お願いします。
　
翌日、カナコちゃんは昼頃起きると、電話をかけはじめた。どうしよう、またコミットメントをとるつもりなのかな。

「あ、お母さん？　私、カナコ」
　
良かったぁ。お母さんにかけたのか。でも何をいうんだろう。まさか、お母さんを説明会に誘うんじゃ……。

「あのね、これまでゴメンね」
　
ん？　どうしたんだろう。突然謝ったりして。

「私、これまで、お母さんの気持ちなんて考えてなかったかもしれへん。育ててもらったことかって、感謝してなかった。だけど、気付いたの。お母さんがどれだけ私を育てるために頑張ってくれたか。どんだけ私を心配してくれてたかって」
　
そうだよ、お母さんはきっとぼくなんかよりよっぽどカナコちゃんを心配してきたに違いないよ。だって、カナコちゃんを生んだ人なんだから。

「ううん。別にどうもしてないよ。違うって。本当にそう思ったから。笑わんといてよ、せっかく勇気だして電話したのに。え？　照れくさいのは私も一緒よ。でもいうとかなあかんと思ったから。うん。だから何もないって。熱もないから。うん。こっちこそありがとう。うん、それだけ。え？　誕生日？　うん、帰れたら帰るけど、ちょっとまだ……」
　
そうか、カナコちゃんも、もうすぐ二十七歳になるんだった。

「うん、でも今度のお正月には帰るから。うん、大丈夫。ひとりでちゃんとやってるから。うん、仕事も大丈夫、順調。わかったよ、気をつける。お母さんこそ体を大切にしいよ。はい、ありがとうね。また電話するから。うん、じゃあね」
　
良かった。何だかカナコちゃんが素直になったみたいだ。
カナコちゃんがお母さんと電話していて怒って切らなかったのって、ぼくが来てはじめてじゃないかな。だけど、良かったな。なんだかカナコちゃん、昨日より少しだけ元気になったみたい。
　
あれ、また電話？

「もしもし、ケイコ？　私、カナコ」
　
ケイコちゃんにかけたんだ！　謝るのかな。謝って仲直りするのかな。してくれるといいな。

「この前は……ごめん。私、どうかしてたみたい……」

ヤッター！　謝ってくれた。ケイコちゃん、許してあげて。お願い！

「ケイコ？　聞いてる？　この前は、本当にごめんね」
　
神様、ケイコさま、お願いだからカナコちゃんを許してあげて。

「え？　ホント？　ホントに怒ってないの？」
　
怒ってなかったんだー！　さすがケイコちゃん。

「うん、たしかに私どうかしてたけど……。そうなんだぁ、電話待っててくれたんだ。ありがとう。ホントにありがとう、ケイコ」
　
ありがとう、ケイコちゃん。

「え？　ううん、結局ひとりも連れていけなかったの。そう、私、友達なんてケイコぐらいしかいないから。でも、連れて行かなくて良かったと思ってる」
　
そうだよ、あんないかがわしい集まりにケイコちゃんを連れていかなくて良かったよ。

「そんなにおかしかった？　ふふ、もうあんまりいわないでよ。ふふふ、そうだけどさぁ。でも良かった。私、ケイコに電話するの、すごく勇気がいったもん。あんなこといっちゃったし。でも電話して良かった。ケイコ、許してくれてありがとうね」
　
わーい！　ケイコちゃんとこれで仲直りだ！　良かったね、カナコちゃん。

「仕事？　ううん、まだ。失業保険もらいながら、ちょっと考えようかと思ってて。え？広告の仕事？　興味はないこともないけど、私、何も知らないから……。え？　会わせたい人って？　独立？　へぇ、そうなんだ。でも会ったって、私何もできないと思うよ。ホントにいいの？　私で？　じゃあ、会うだけ。え？　明日？　また急なんだね。うん、そりゃあ早い方がいいけど。うん、わかった。じゃ明日の何時？　どこへ行けばいいの？　うん、わかるよ。うん、わかった。じゃあ、明日あのお店で。うん、ありがとう、ケイコ。はい、じゃあ、明日」
　
なんだろう、仲直りできただけでも嬉しいのに、誰かに会わせてくれるって？　しかも仕事っぽい話だね。これで新しい仕事まで決まったら、いうことないよ。
だけどケイコちゃんがカナコちゃんを許してくれて、本当に良かった。
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         <link>http://mbase.hontsuna.com/novel01/archives/2008/03/post_30.html</link>
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         <pubDate>Mon, 31 Mar 2008 09:56:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第三十二回</title>
         <description>「あぁ、カナコ遅いじゃない。五分遅刻よ」
「ごめん、ちょっと一本電車乗り損ねて」
「まぁいいわ。コーヒーでいい？」
「うん」
「すいませーん！　ホットをあとひとつくださーい。あ、電話で少し話したでしょう？　この人が、そのナカタさん」
「あ、はじめまして」

「はじめまして。エンドウさんだっけ？　クリハラから聞いたけど、今、無職なんだよね？」
「あ、はい」
「あのねカナコ、ナカタさんはこの間までうちの会社でクリエイティブ・ディレクターだったんだけど、独立したの。それで会社を立ち上げたのはいいんだけど、ちょっと人手が足りないんだって」
「クリエイティブ・ディレクター……」
「ぼくから説明するよ。クリエイティブ・ディレクターっていうのは、広告を統括する仕事でね、たとえばひとつの商品があったら、テレビＣＭ、新聞や雑誌の広告、ビルの看板やチラシ、さらにはウェブまであるでしょう？　それらがバラバラなイメージにならないように統括する役割なんだよ。で、クリハラがいうように、ぼくも会社の中でそれをやってたんだけど、四十五歳になったのを機に独立しようかと思ってね、目をかけていたデザイナー二人とコピーライターと、たった四人で立ち上げた小さい会社なんだけど、電話に出てくれたり、お客さんにお茶を出したりとか、ちょっとした校正とかしてくれる人がいなくて困ってたんだよ。で、クリハラに聞いたら、無職の友達がいるっていうんで、じゃあ紹介してくれっていったんだけど、相変わらず仕事が遅くて」

「仕事が遅いんじゃありません！　ちょっと、事情があったんです。ね？　カナコ」
「えぇ、まぁ……」
「事情って何だ」
「まぁいいじゃないですか。で、カナコどうする？　やってみる？」
「そんないきなりやってみるっていわれても、私、広告のことなんて何も知らないから」
「いいんだよ。そんなもん知らなくていいの。最初は誰だって素人なんだから。クリハラだって最初の頃はひどかったんだから。なぁ？」
「私のことは、今関係ないじゃないですか」

「どう？　エンドウさん？　やってみない？　ていうか、やって。お願い」
「相変わらず軽いっすねぇ、ナカタさん」
「うるさいよ。それが俺の売りなんだから。どう？　エンドウさん」
「い、いいんですか？　でも、なんていうか、クリエイティブ・ディレクターっていう言葉もはじめて聞いたし……」
「実際そんな言葉はまず使わないから。全部略して覚えればいいんだよ」
「そうそう、アート・ディレクターなら頭文字を取ってエー・ディー、ナカタさんはクリエイティブ・ディレクターだからシー・ディー。ね、簡単でしょ？　カナコ」
「うん、そういうのはすぐ覚えると思うけど、なんていうか」

「エンドウさんてさ、何かやりたいことってあるの？」
「いえ、それが特に」
「そりゃちょうどいい」
「ちょうどいい、ですか？」
「うん。クリハラみたいに野心ばっかり強いより、そんなのない方がずっと使いやすいからね」
「私、野心なんてありません！」
「あるじゃない。やれ、あれはおかしいだの、こうした方がよくないですか、とかいちいち噛みついてくるじゃないか」
「それは、まぁ、たしかにいいましたけど……」
「ま、それはそれでいいんだけど、クリハラみたいのがうちの会社にいたらうるさくてかなわん」
「私、うるさくなんてないです！」
「それがうるさいんだよ。いいからちょっと黙ってろ。で、どう？　エンドウさん。ちょっとうちで働いてみない？」

「あの、本当に私でも大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫大丈夫。とりあえずやってみたら？　うちも助かるし」
「で、でも、そんな簡単で……いいんでしょうか。今さっき会ったばかりだし」
「ごめんカナコ、いうの忘れてた。ナカタさんて、こういう人なの」

「どういう意味だよ、クリハラ。俺はな、これでも人を見る目はあるんだ。こう、見た瞬間にオッケー！　みたいなさ」
「ただの見た目じゃないですか」

「世の中な、何でも簡単に考えた方がいいんだよ。難しく考えたってろくなことはない」
「そう、カナコ。ナカタさんって、こうなの。仕事もだいたい即決で、はいそれで決まりってなったらダーっとやっちゃう感じ。超テキトー、いい加減。でも何だか知らないけど、クライアントには人気があってね。だからまぁ、独立することになったんだけど」
「いい加減とは何だ。だいたいな、それが元上司に対して使う言葉か」
「はいはい。すいませんでしたね。だけどナカタさんだって一回クライアントに『帰れ馬鹿』っていって大問題になったじゃないですか。その方がひどくないですか？　相手はクライアントですよ？」
「あれはあっちが本当に馬鹿だったからしょうがないだろう。あんな頭の悪い奴と仕事をしてもろくなことはない。あそこで手を切ったのは非常にいい判断だった」
「そうでしょうかね。ま、私はそうは思いませんけど。で、カナコどうするの？」

「エンドウさんさ、さっきやりたいことがないっていったでしょ？　それって普通なんだよ。やりたいことがないって悩んでる若者がいるけど、やりたいことがある人の方が圧倒的に少ないの」
「そうなんですか？」
「そうだよ。それに近ごろは若いくせに将来不安だ何だって悩んでる奴が多いけど、そんなもん、いつまで経っても不安だからね。もちろんぼくだって不安。もっというと若い奴らよりちょっとオッサンな分、もっと不安」
「ちょっとじゃないじゃないですか。格好が若いだけで、かなりオッサンですよ、ナカタさん」
「いちいちうるさいよ、いいからちょっと黙ってろ」
「はいはい」

「わかった？　安心なんてどこまでいってもないんだよ。一時的な安心はあってもね。クリハラみたいに大企業でぬくぬく働いてたって、そのうちきっと不安になるよ」
「私、ぬくぬくなんてしてません！　それに、別に安心なんてしてませんから」
「それでいいんだよ、それで。結局何があるかわかんないんだから、人生なんて。どうせ死ぬんだし」
「死ぬ、ですか」
「うん、エンドウさんだって必ず死ぬよ。いつかは知らないけど、絶対に死ぬから。ぼくだって死ぬ。ようはね、人は生まれながらに死ぬ運命だってこと。だからさ、生きているうちくらい楽しく暮らそうよ」

「ナカタさんて昔っからそうですよね？　チョーお気楽」
「お気楽のどこが悪い。これでも俺だってな、会社の社長として、日々不安と戦ってだね、従業員の生活を考えてだね、さらには新たな社員の獲得に……」
「もういいです。で、カナコ。どう？　やってみない？　ナカタさんて話すと馬鹿っぽいけど、仕事はできるし、悪い人ではないよ」
「馬鹿は余計だ」
「うん。もし私にもできるなら……」

「よし決まり。じゃエンドウさん、来週頭から来てくれる？　あ、そうそう肝心なことを忘れてた。お給料、いくら欲しい？」
「いくらっていわれても……」
「年、いくつだっけ？」
「二十六歳です」
「じゃ、とりあえず二十六万からでいい？」
「いい加減ですねぇ、ナカタさん。あ、でもカナコ、誕生日ってもうすぐじゃない？」
「うん、来月の二十二日だけど」
「ナカタさん、というわけで二十七万になりません？」
「クリハラ、お前な」
「いいじゃないですか。年齢で決めたのはナカタさんなんですから。どうせ来月で二十七になるんだから、一万くらい」
「わかったわかった。じゃあ二十七万からで」
「あと、交通費は別で」
「まったく、わかったよ。それでいいかな？　エンドウさん」

「十分です。ありがとうございます。あの、よろしく、お願いします」
「ナカタさん、あと、ちゃんとカナコにボーナスもあげてくださいよ」
「わかってるよ。ただし、儲かったら、だ」
「良かったね、カナコ。仕事決まったじゃん。それにね、ナカタさんて人脈凄いから、きっと色んな人に会う機会が増えるよ。ひとまず、頑張って」
「ありがとう、ケイコ」

ありがとう、ケイコちゃん。
カナコちゃんを許してくれたうえに、仕事まで紹介してくれて。
これでひと安心だね。
神様、ぼくの望みを叶えてくれて、本当にありがとうございました。

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         <link>http://mbase.hontsuna.com/novel01/archives/2008/04/post_31.html</link>
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         <pubDate>Mon, 07 Apr 2008 09:50:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>最終回</title>
         <description>予定通り、カナコちゃんはナカタさんの会社で働きだした。おとなしかったカナコちゃんだけど、ナカタさんや他のスタッフが異常に元気だから、みんなに引きずられるように少しずつ明るくなっていったんだ。
　
仕事も嫌じゃないみたい。毎日色んな人が訪ねてくる会社だけど、初対面の人とも結構うまく話せるようになってきたし。何より毎日が楽しそう。
もう心配ないね、カナコちゃん。

「おー来た来た。待ってたよ、エンドウくん」
「あ、遅れてすいません！　ちょっと出掛けに一本電話が入ったんで。あれ？　ケイコ、どうしたの？」
「お疲れー、カナコ」
「いやさ、今日のエンドウくんの歓迎会、ついでにクリハラに声をかけたら来るっていうから。ほんと、ちゃんと仕事してるんだか」
「してますよ、ちゃんと。それよりカナコ、どう？　ナカタさんのところは。そろそろひと月経つけど、セクハラとかされてない？」
「失礼なことをいうな。こう見えても、セクハラと痴漢と下着泥棒だけはしないと誓っているんだ」
「あはは、大丈夫よケイコ。すごく良くしてもらってるから」

思えば、ぼくはカナコちゃんに何もしてあげられなかったね。してあげられないどころか、ぼくのせいで会社をクビにさせちゃったり、あのときは本当にごめんなさい。

「あ、そうだ、エンドウくん。他の奴らは？　まだ事務所に居た？」
「あ、はい。ちょっと遅れていくから先にやっててくださいって」
「まったく、しょうがない奴らだなぁ。ダラダラやってるから仕事が終わらないんだ。オンとオフってもんがわかっとらん。そういう意味ではクリハラの方がまだマシだ。タダ酒と聞くと仕事をほったらかして飛んでくる」
「別にタダ酒飲みたさに来たんじゃありません！」
「じゃあなんで来たんだ」
「ナカタさんが来いっていったんじゃないですか。それに明日はカナコの誕生日だから、そのお祝いもかねて」
「そうだったのか」
「そうだったのかって、最初に会ったときにいってたじゃないですか。ほんと、人の話聞いてないですよね、ナカタさんて」
「そうかそうか、明日はエンドウくんの誕生日か。で、何歳になるんだっけ？」
「二十七歳になります」
「バカね、カナコ。二十八っていえば良かったのに。そうすれば給料がまた一万あがったかもわかんないのに」
「バカはお前だクリハラ。そうやって人を騙すことばかり考えやがって」
「あははは」
　
でも、こうして楽しそうに笑えるようになって良かったね、カナコちゃん。変なセミナーを受けたときはどうなることかと思ったけど、良かった良かった。

「で、エンドウくん。明日は彼氏にお祝いしてもらうのかい？」
「いえ、それが特に予定もなくて」
「そんなこといいながら、ほんとはちゃんと彼氏とかいるんじゃないの？」
「ナカタさん、そういうのをセクハラっていうんですよ。ねぇ、カナコ」
「これのどこがセクハラなんだ。こんなものがセクハラだったら、ろくに会話もできんじゃないか」
「いいのよケイコ。ナカタさんたちのおかげで毎日結構楽しいんだから」
「みんなうるさいでしょ。すぐ馬鹿なことばっかりいうし」
「馬鹿は余計だ」
　
それにしてもサトルって変な奴だったよね。あれから訪ねて来ないけど、どこで何やってるんだろうね。きっとまたどこかで適当なことばっかりいって女の子を悲しませてるのかもね。だけど、カナコちゃんがセミナーでおかしくなったときに助けてくれたのは、アイツなのかもしれないよね。でも、ぼくはやっぱり嫌いだな。あんな奴より、きっともっといい人が見つかるよ。

「しかし遅いなぁ、あいつらは」
「どうします？　先に飲みはじめちゃいます？」
「どうした？　酒が切れたのか、アル中クリハラ」
「アル中じゃありませんから。でも、遅いですよね」
「とりあえずビールでも頼むか」
「あの、もうちょっとだけ待ってみません？」
　
カナコちゃんはやっぱり優しいよね。そんな優しいカナコちゃんと出会うことができて本当に良かったよ。いろいろあったけど、またこうして元気になってくれて、ぼくはとても嬉しいんだ。結局、ぼくは何もしてあげられなかったけど。
　
だけどね、カナコちゃんがひとりぼっちになったとき、ぼくは神様にお願いしたんだよ。ぼくの大好きなカナコちゃんを助けてって。元通りに戻してくださいって。
そしたらさ、ケイコちゃんともちゃんと仲直りできたし、こうして新しい仕事だって決まった。神様って、本当に居るのかもしれないね。

前よりちょっと元気になって、楽しそうに笑っているカナコちゃんを見ているだけで、ぼくは幸せなんだ。もう大丈夫だよね、カナコちゃん。

「おー、来た来た。遅いぞ、お前ら。遅いことは牛でもするぞ」
「牛はないでしょう、ナカタさん、みんな働いてたっていうのに」
「うるさいクリハラ。ビールでいいか？」
　
そろそろお別れするときがきたみたい。

「エンドウさんもビールでいい？」
「あ、はい」
　
ぼくはね、カナコちゃん。いつの間にか、自分のことよりカナコちゃんの方を大切に思うようになったんだ。ぼくらは普通、ひたすら長くなろうとするんだ。そうした方がたくさんの栄養をもらえるからね。だけどね、それじゃあカナコちゃんの栄養を奪っちゃうことになるじゃない。本当は居させてもらえるだけで感謝しなくちゃいけないのに、ぼくのせいで前の職場もクビになっちゃったし、悲しい思いをさせちゃった。そのうえ、たくさんの栄養をもらうなんて、ぼくにはできなかったんだ。だから、ぼくは長くなることを止めたんだ。

「お前らも全員ビールでいいな？　何？　ウーロンハイ？　ふざけるな。乾杯はビールしか認めん」
「なら最初から聞かなきゃいいじゃないですか、ナカタさん」
「うるさい。乾杯から軟弱な飲み物を頼む奴がいないかどうかの確認だ」
「なんですかそれ」
「とにかく全員ビールだ。クリハラ、ちょっと店員を呼んでくれんか」
　
だけどね、いくら長くなることを止めてもね、結局カナコちゃんの栄養を摂っちゃうじゃない。そうしないと、ぼくは生きていけないから。でもね、ぼくがもっと短くなったら、もらう栄養も少なくて済むでしょう。だからぼくは自分のカラダを短くすることにしたんだ。

「ナカタさんこそアル中じゃないんですか？　機嫌悪くなってますよ」
「やかましい。いいからビールを六つ頼んでくれ。ほら早くせんか」
「やっぱりアル中じゃないですか」
「あのな、俺はビールを酒とは認めとらん」
「すいませーん！　生ビールを六つお願いしまーす！　大急ぎで！」
　
極限まで短くなって、もらう栄養もぎりぎり少なくして、少しでもカナコちゃんに迷惑をかけないようにしていたんだ。だから、今は、もうカナコちゃんにしがみついているのがやっとなんだ。きっと今、ビールが入ってきたら、ぼくはつかまっていられないと思うんだ。
　
だけど、それでもいいんだ。だって、カナコちゃんが元気になってくれたから。ずっとそれを願っていたんだから。前に会社をクビになったときには、送別会も開いてもらえなかったのに、今はこうして歓迎会をやってくれる仲間も出来たしね。本当に良かったね、カナコちゃん。ぼくはそれをただ見届けたかったんだ。

「おー来た来た。ほら、エンドウくんも。みんなも揃ったか？」
　
だから今日は思いっきりお酒を飲んでよ、カナコちゃん。恨みなんてしないから、好きなだけワイワイ騒いでよ。ぼくなら大丈夫、もうずいぶん前から覚悟はしていたから。
それにね、ぼくはそろそろ寿命なんだ。サナダ虫の寿命は長くて三年。ぼくはそれよりちょっと短いけど、カナコちゃんと一緒に居られて、ずいぶん楽しい思いをしたからね。お別れするのは辛いけど、いつまでもお世話になるわけにはいかないから。

「えー、それでは、みんな揃ったところでエンドウくんの入社を祝しまして……」
「あ、あとカナコの誕生日祝いもかねまして……」
「そうだったそうだった。お誕生日おめでとう、エンドウくん。これからも頑張って働いてくれよ」
「あ、ありがとうございます」
　
明日で二十七歳になるんだね。
一日早いけど、誕生日、おめでとう、カナコちゃん。
ぼくがお腹の中にいたことなんて、カナコちゃんは知らないと思うけど、長いこと勝手に居座っちゃって、ごめんね。
これからも、元気でね。

「では、カンパーイ！」
「カンパーイ！」

仕事、頑張ってね。
ケイコちゃんと、仲良くね。
あと、いい人見つけてね。
風邪、引かないようにね。
今まで、本当にありがとう。
じゃあね、カナコちゃん。
バイバイ。
　







「久しぶりぃ、カナコ」
「久しぶりでもないでしょ、ケイコ。先週飲んだばっかりじゃない」
「あ、そっか。でもあの日、結構飲んでたよねぇ。カナコにしては珍しく」
「うん、何だか楽しかったから」
「ナカタさんたちも最後の方はベロンベロンだったよねぇ」
「そういうケイコも結構酔ってたじゃない」
「あぁみんなが飲んべえじゃあね、こっちも飲まないとやってられないよ」
「広告業界の飲み会って、いつもあんな感じなの？」
「人によるかな。それにだいたい飲み会っていっても接待だから、身内で飲むときぐらい楽しくっていうのもあるんじゃない？」
「いろいろ大変なんだね、広告の仕事って」
「どう？　カナコ、やっていけそう？」
「うん。なんかみんな私がこれまで会ったことがない人種というか。でも、楽しいよ。やっていけそうな気がする」
「それは良かった。一応紹介した立場ってのがあるからね。すぐに辞められでもしたら、ナカタのおっさんにまた何いわれるか、わかったもんじゃない」
「そっちの心配？」
「違う違う。冗談よ。でも、良かったね」

「ねぇ、ケイコ。変なこといっていい？」
「どうしたの？　また何かの勧誘？」
「違うって！　真面目な話なんだけど、信じないかも」
「何？」
「信じる？」
「そんなの、聞いてみないとわからないじゃない」
「じゃ、止めとく」
「わかった。信じる。信じるから、何？」
「あのね、ここ最近、っていうか、ここ二年ぐらいだったんだけどね」
「だから、何？」

「誰でもさ、頭の中で考えることってあるじゃない。声に出していわないだけで」
「そりゃあるよ。思ってること全部いったら、私なんて殺されると思うもん」
「あるよね、普通。実際の声としては聞こえないけど、なんか聞こえてくるような言葉って」
「それがどうしたの？」
「たとえば何かのときに、それはいけないんじゃないのか、とか」
「あるある。私なんて。それは人としてどうなのか、とかよく思うもん。そういうのを、良心っていうのかもね」

「私ね、それがお腹の方から聞こえるようなことがあったの」
「なんでお腹？」
「わからない。でもお腹から聞こえてくるの」
「錯覚じゃないの？」
「私もずっとそう思ってて、だから誰にもいわなかったし、そういうもんなんだって近ごろは普通になってたんだけどね」
「で、どんなことが聞こえてくるの？」
「んー、なんていったらいいんだろ。いつもではないんだけど、落ち込んでたりするとね、ガンバレーとか、そんな感じの言葉が聞こえるの」
「ふーん」

「あのときだってそう。ケイコと喧嘩っていうか、私がおかしくなってたとき。あのときケイコに謝る気持ちになったのも、その声のおかげなの」
「まぁそれは内心そう思ってたってことだろうけどね」
「まぁ、そうなんだけどさ」
「誰でもそういうのってあるんじゃない？　いいじゃない、それで」

「それがね、急に聞こえなくなったの。あの飲み会の翌日から」
「変な声が聞こえなくなって良かったじゃない」
「そうなんだけど、なんか、こう、変な感じなの。寂しいっていうか、なんていうか」
「なんで寂しいの？」
「わからない。だけどなんだか寂しいの」
「どこら辺が？」
「お腹…の、ちょっと下あたり。えーと、ここら辺。ここがなんだか凄く寂しいの」
「ふーん」

「それがね、何でだろうと思って」
「想像妊娠でもしてたんじゃないの？」
「ほら、やっぱり真面目に聞いてくれない。もういい！」
「怒らなくていいじゃない、カナコ」



　


おわり

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         <pubDate>Mon, 14 Apr 2008 09:22:45 +0900</pubDate>
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